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目黒雅叙園のアートイルミネーション 「和のあかり×百段階段」展 2016に行った。 [目黒散歩]

父母の墓参りで目黒の五百羅漢寺に行った帰りに8月7日アートイルミネーション 「和のあかり×百段階段」展 2016(7月1日~8月28日開催)に行ってきた。会場は、目黒雅叙園「百段階段」である。
目黒雅叙園「百段階段」は、東京都指定有形文化財である。「百段階段」とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられたとされる。階段廊下の南側には7つの部屋があり、江戸文化の贅(ぜい:ぜいたく)を受け継ぐ昭和の色彩空間で、壁や天井などに日本画が描かれている異空間である。1ドル360円時代の大昔は、まだ、木造建築で外人の宿泊客が多かったと記憶している。外人は天井から壁まで室内の日本画を見て驚いただろうな。

《エントランスー山口県柳井市:「柳井金魚ちょうちん祭り」》

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《雅叙園百段階段と日本画》

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《絵師 西元祐貴「龍棲の里 福井」》

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《青森県青森市:「青森ねぶた祭」》

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《妖怪絵師 満尾洋之:「平成 百鬼夜行立体絵巻」》

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《造形作家 川村忠晴:「草木のあかり」》

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《北海道函館市:「南かやべひろめ舟祭り」》

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《宮城県仙台市:「仙台七夕まつり」》

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《青森県五所川原市「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」》

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【関連サイト】
◆行人坂を下って目黒不動尊に至る 
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-02-19


目黒通りの家具街を歩く [目黒散歩]

2014年3月22日(土)、実家のあった目黒を訪れた。彼岸など墓参りで目黒五百羅漢寺に眠る父母のお参りにいった後は、先代のころから我家ご用達の「肉の藤屋(東京都目黒区目黒2-9-7 ) 」さんに立ち寄り、大きさが年々小さくなっていくが日本一うまいメンチカツ(北島K介の実家のメンチより100倍うまい)を買って帰るのが慣例となっている。以前、ショーケンがテレビドキュメントでトンカツか何か買いに来ていた店だ。同店の午後の開始時間が、午後4時とのことで、お参りの終わった3時過ぎから時間つぶしに目黒通りを散策した。

《目黒通り風景》
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様変わりしていた。目黒通りを中心として延々と続くインテリアショップを総称して【MISC(目黒インテリアショップスコミュニティー)】というらしい。自分の中学校生時代、息子が同学年だった葬儀屋さんのあたりもインテリアショップ街に変わっていた。
街の変わり方も、中途半端な地方都市とは違ったおしゃれな変身をとげているようで、残念さがない。

《目黒通り近辺地図》
この4倍ぐらいある。

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《LEWIS<1960年代-1970年代北欧・アメリカユーズド家具屋さん>のマスコット=売り物ではない》
日本製ユーズドママチャリ(自転車)が、宗教的服装(法服)上の理由から中近東で売れたり、しっかりしている日本のユーズドつまり中古ビニール傘が飛ぶように売れているらしいけど、家具の世界は多様だ。本物の日本製家具は、高いしね。

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《お知らせ》
我家の愛犬 Pieechanが、Terrier club のImage Of the Weekに掲載されています。(4月13日以降LOW ARCHIVESで)
ご笑覧ください。

URL & お題
◆Happy Spring Equinox!
春分を寿ぐ...
*Check it out at
☆archives
http://www.terrierclub.com/mainfold.php?nav=apr14.htm&arc=apr141.htm

目黒 雅叙園で [目黒散歩]

雅叙園は、何かと縁がある場所である。我が家では、何かイベントがあると雅叙園で催した。そういえば、両親の金婚式もやった。しかし、もう二人は、いない。2013年7月15日その両親を偲んで、また、雅叙園をおとずれた。

木造館時代の目黒雅叙園は、石川県出身の創業者・細川力蔵が、1928年(昭和3年)に東京・芝浦にある自邸を改築し、純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経営していたのが前身で、その後、東京府荏原郡目黒町大字下目黒字坂下耕地一帯(田舎だな...)および岩永省一邸の建造物を入手し、増改築を進めて1931年(昭和6年)に目黒に「目黒雅叙園」と名付けた料亭を開業したそうな。これは、日本国内最初の総合結婚式場でもあったようだ。

自分が、木造時代を知っているのは、昭和30年代、町内の子供みこしが、雅叙園中庭を休憩地とするのが恒例だったからだ。当時、雅叙園に泊まっているのは、外人さんが過半を占めていた。神輿が到着すると一斉に、窓からカメラの砲列だったのを記憶している。自分も外人で、日本を旅行していたらた撮影していただろう。

雅叙園は、1991年(平成3年)に全面改築された。百段階段(実際は99段)は残されたが、今は美術館になっている。なお、エレベーター壁面や室内に使われた螺鈿や漆による装飾は、韓国の漆芸家・全龍福(チョン・ヨンボク)によって新たに制作、もしくは修復された。雅叙園もいまは、ワタベウエディングの全額出資子会社らしい。

《百段階段に行くエレベーターで》
壁面は、螺鈿や漆による装飾が施されている。

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《天井の日本画》
朝丘雪路の御父君、日本画家の伊東深水などの作品もある。

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《平成25年7月15日に飾られていたオブジェ?》

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《レリーフ》

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タグ:雅叙園

目黒寄生虫会館から歴史あるマンション目黒コーポラスに至る [目黒散歩]

3月23日お彼岸で墓参りに行ったついでに、今や観光コースの目黒寄生虫会館から日本有数の歴史あるマンション目黒コーポラス(築年:1963年)を撮影。

《目黒寄生虫会館》→大鳥神社から20メートル
入館料無料である。
同名の財団法人が運営する世界で唯一の寄生虫の博物館。
1953(昭和28)年 医学博士・亀谷了先生(かめがい さとる:1909年-2002年)の私財により研究機関として設立。
亀谷先生は御存命のおりは、往診も欠かさず、近隣では大変尊敬されていた名医だったように記憶している。
亀谷邸2階(その後寄生虫会館となった)には、クロード岡本と言う高名な画家が一時期、寄宿していたと記憶している。
昭和時代には、随分人気のあった画家だったので週刊新潮の新潮ギャラリー等に良く掲載されていた。
中学生のころは肝試しで良くこの会館を見学した。フィラリアに侵され肥大した人が、局部に座っているおどろおどろしい写真が掲示されていた。今回は、ズラッと並ぶ寄生虫のアルコールづけ標本を見て、外人の青年の見学グループが「ワーオ!」なんて言って、騒いでいた。
なお、目黒寄生虫会館は、今は、財政的には、厳しいかどうかは知らないが、2階で寄生虫デザインのTシャツや、キーフォルダー等販売するほか、寄付金を募っている。もちろん、寄付してきたが大枚ではない。

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《目黒コーポラス》
日本最古ではないけど、マンションとしては相当古い。隣の目黒3中に通っていたので、友人で住んでいるやつもいた。専門家の話だと、昔のマンションはガタイがしっかり作ってあるので、安普請の昨今のマンションと違い、中古でもあまり値段が下がらないとのこと。
築年月:1963年12月(昭和38年12月)
所在地:東京都目黒区下目黒3丁目24-14
交通:JR山手線・東京メトロ南北線・都営三田線「目黒」駅より徒歩13分
施工会社:佐藤工業

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《隣の目黒3中》
勉強はあまり出来なくて、スポーツや喧嘩は弱いのが特徴の中学校だったが、今はどうなのだろうか?

(注)平成27年4月:東京都目黒区立第三中学校・第四中学校は少子化を理由に統合され大鳥中学校(近所に大鳥神社がある)として生まれ変った。場所は旧3中に同じ。


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恵比寿から茶屋坂を下って桜の開花する目黒川に至る [目黒散歩]

目黒は坂が多いところである。
子供のころは、第二次大戦でアメリカ軍の飛行機B29が爆弾をたくさん落としたので坂が多くなったなんて大真面目にいうガキが何人もいた。半信半疑ではあったけど、周辺にもいかにも爆弾で燃えた住宅跡地のような原っぱがたくさんあった。そういった急な坂でランニングダッシュをして体を鍛えるガキ大将や悪ガキがいた。昔の、悪ガキは、努力に裏打ちされていたから、余り弱い者いじめなんかしなかったように記憶している。
さて、
2013年3月23日お彼岸の墓参りがてら、恵比寿から、潜水艦の実験などしていると子供の頃聞いていた防衛研究所(艦艇装備研究所)を経由して、目黒のさんまで、有名な茶屋坂とは正確には違うらしいが、子供のころから茶屋坂と言っていた「新茶屋坂」を下って桜の咲き誇る目黒川の桜祭りを愉しんだ。
なお、本当の茶屋坂は、落語「目黒のさんま」の舞台といわれる近くの坂(落語は作り話)。江戸時代にはこの坂が江戸から目黒への入り口で、坂の上からは、富士山が眺められたようだ。坂の上には茶屋があり、鷹狩りへ訪れた3代将軍徳川家光が気に入り、たびたび立ち寄るようになったと伝わる。その際、店主のことを「爺、爺」と呼びかけていたことから、「爺ヶ茶屋」「爺爺ヶ茶屋」と呼ばれるようになり、以来歴代将軍が狩猟で訪れると、ここで一服するのが恒例となったとのこと。

《防衛研究所(艦艇装備研究所)門》
中に入って見学しても良いか、聞いたところ、あっさりお断りされた。桜がさいて綺麗なだけだったのだけど、後で考えたら防衛研究所だから、どうぞって言われたら、我国の防衛は大丈夫か?なんて思ったかも知れない。
艦艇装備研究所というぐらいで、子供の頃潜水艦の実験を敷地内でしているとのうわさは本当だったのだなと、なんとなく納得した。


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《新茶屋坂の桜》
左側に、ゴミ焼却場の大煙突が見える。目黒のゴミ焼却場は、昔は理化学か何かの研究所で、確か所長か誰かの娘が美人だったような遠い記憶が・・・・・


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《目黒川-中里橋界隈》
カヌーで遊ぶ人もいる目黒川。昔は東京3大キタナイ川の一つだったのに、日本の環境技術ってすごい。もっとも、工場も無くなっちゃったけどね。

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《案内》
目黒区。力入ってるな・・・

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《川沿いの遊歩道-トイレは目黒区民会館を利用》

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《雅叙園を眺める》


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(桜総評)
中里橋から新橋までの間は、右側は開花十分。左側はイマイチ。左側は明日、24日~26日に見ごろになるかも。


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行人坂を下って目黒不動尊に至る [目黒散歩]

行人坂は、目黒区下目黒1丁目大円寺前を太鼓橋まで下る急坂です。その行人坂を道なりに下っていくと、雅叙園の先の目黒川太鼓橋のたもとに池波正太郎さんの鬼平犯科帖に出てくる太鼓うなぎ(鰻屋)がありました。しかし、数年前から、コンビニになっておりまして、流石に鬼平もコンビニで盗賊を見かけたでは絵になりませんね。
池波正太郎さんは、東急線で目黒から10分ほどの武蔵小山に住んでいました。友人の家は3階建てで2軒隣であったので、お庭まで見えました。目黒界隈は本当に良く、散策されていたようです。目黒生まれの自分には、懐かしいお寺や神社、地名が小説やエッセイに出てきますし、シロガネーゼなんて言ってた白金界隈も夜盗が出る原っぱだったとか、なるほど目黒が江戸の郊外であったことが偲ばれます。鷹番なんて鷹狩関連の地名もあるし、徳光アナウンサーの出身校菅刈小学校なんて菅を刈取るだし、当時の田舎ですね。かく言う私も田道(でんどう)小学校の出身であります。田んぼの道です。田舎クサ!
<校歌>
富士が嶺仰ぐ 田道の学びの庭に 生い立ちて 清く正しく のびゆかん   
        
<香港園~行人坂の急坂手前、石原裕次郎や池波正太郎行きつけの香港園>

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<大圓寺(大円寺|通称:大黒寺)-入口付近>

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<大圓寺(大円寺|通称:大黒寺):明和9年2月29日(今の1772年4月)に江戸で発生した大火災で江戸の三大火事のひとつ「明和の大火=行人坂の大火」の火元だそうです。>

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<昔あった鬼平に出てくる「太鼓鰻」-今やコンビニです>

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<ホリプロ>

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<雅叙園--昔は、祭りには子供神輿のコース。中庭で一休みすると、窓から顔を出した外人宿泊客(当時は外人客が多かった)からCAMERAの砲列>

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<たこ薬師:成就院 と言います-昔の写真で御容赦>

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<五百羅漢寺 -本堂>

「目黒のらかんさん」として親しまれている羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものだそうです。5百体以上の群像が完成してからもう三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存305体) 

天恩山五百羅漢寺はもともと本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建され、五代将軍綱吉さらに八代将軍吉宗の援助を得て繁栄を誇り、「本所のらかんさん」として人びとの人気を集めていました。 しかし、明治維新とともに檀家が将軍家だったので寺は没落し、二度移転、明治41年に目黒の地に移ってきました。大正から昭和にかけて非常に衰退し、自分が、ガキの頃はトタン屋根で雨露をやっとしのぐほどの無残な状態になっていました。 (いつの間にか外人観光客の観光コースから外れました)そんな状態がしばらく続いたのち、昭和56年、新たに檀家を募り再建されたました。再建時、最初は、墓を売りたい一心で宗教は制限はないとうたっていたようです。しかし、初期に檀家となった墓の購入者<親族>が、中々御墓に入居するチャンスに恵まれず、平成もだいぶ過ぎて、ようやく機会到来した頃には、いつのまにか浄土真宗となっていました。本当に故人には申し訳ないことですが、多少のお経の違いはご容赦いただきました。しかし、親族をなだめるのにひと騒動。経営が変わったのだろうけど、びっくりであります....
なお、展示されている五百羅漢は、今は<写真撮影禁止>になっているようです。

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<目黒不動尊>

目黒不動尊は一般名ですが、本当は瀧泉寺(りゅうせんじ)といいます。

子供の頃、江戸五色不動(ごしきふどう)の一つと教わりました。きっとその時先生はちゃんと説明したのかもしれないけど、目白ぐらいしか印象に残っていません。五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称や伝説を持つ不動尊だそうです。五色不動は、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種六個所の不動尊であります。

【行き方】
・東急目黒線 不動前駅下車徒歩8分
・JR山手線、東急目黒線 、東京地下鉄南北線、都営地下鉄三田線目黒駅下車徒歩13分

<独鈷の滝>

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<不動堂>

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<小学生のころ読んだ偉人伝で発見した目黒不動尊ゆかりの偉人 甘藷先生-青木昆陽先生の碑です。お墓は、不動尊の裏手の墓地にひっそりとあります。
:江戸幕府8代将軍徳川吉宗に命じられたそうですが、すでに西日本では飢饉の際の作物として知られていた甘藷(サツマイモ)の栽培を関東で広め、天明の大飢饉では多くの人々の命を救った偉い人だそうです。同じく偉人伝にあった、ヒメマスを十和田湖で養殖した和井内貞行さんにも対抗し得る方であります。もっとも、和井内さんには「信じているのは、妻のカツ?だけでした。」というインパクトのある応援団がついておりましたが..

※ 10月28日は、青木昆陽先生にちなみ毎年甘藷祭り。毎月8日・18日は小縁日。28日の 不動縁日には露天も毎月並ぶ。子供のころは、「8の日」と言って、特にたくさん露店の出る28日は、子供たちのワンダーランドだった。


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<甘藷先生 青木昆陽のお墓>

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<本堂>

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【関連サイト】

◆目黒雅叙園のアートイルミネーション 「和のあかり×百段階段」展 2016に行った。
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2016-08-08

目黒タイムスリップ [目黒散歩]

全く私的な目黒タイムスリップ

幼少から(1951年代~)30年ほど暮らした目黒風景、撮ってみました。
今は実家もなくめったに行く機会がありません。
幼年時代の懐かしいスポット、全く個人的な記憶と思い出です。
・・こんなに道狭かったかな・・・・は、良くある話ですが....

<わが母校-田道小学校>

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<小学校の裏道-6年間通った>

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<ピンポンダッシュ被害者のみなさん--ご立派な門がまえの邸宅が多かったな。蔦なんか、ちょっとヨレているけど、昔のままです。>

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<右手は、外人 ガイタンの家でした・・・・小学生のころ、ピンポンダッシュしようと呼び鈴を押したら、品の良さそうな白人のご婦人(お母さん)がにこやかに出てきて、中へ通され友達と二人ジュースと当時珍しいクッキーを御馳走されました。更にオヤジと息子が出てきて、もはやこれまでと覚悟したのを覚えています。当時恥ずかしがり屋の日本人ばかりの時代にピンポン押してvisitしてきたことが余程嬉しかったらしいのです。ついでにガイタンのガキと相撲やらせられました。体がでかいので結構強かったのを覚えています。親は、日本びいきのところ見せたかったのかも知れません。 ノコッタ!ノコッタ!>

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<山口百恵と通った坂道-日の出女子学園裏門前の坂道で山口百恵さんとは、学生時代2度ほど遭遇しています。坂の上にいた2~3人のカメラ小僧がシャッターを押すのを見て、「俺、ひょっとして有名になったのかな」と一瞬思いましたが、やはり勘違い。私のちょっと後ろを歩く女子高生に向かってのカメラの砲列に「アッ!」とようやく気付いた次第であります。テレビで見ると大きく見えますが、小柄な方でした。坂を上って、権之助坂の向こう側にはホリプロが今でもあります。>


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<ランドマーク 元利根ボーリング跡の新ビルです>

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<目黒エンペラー:今は禁止されてるだろうけど、夜中にもサーチライトで遠くを照らし続けていた目黒エンペラー付近です。酔って品川まで寝過しても、目黒エンペラーの灯台のようなサーチライトで、徒歩で目黒まで帰還できました。そういえば、幼少のころの話ですけど、このあたりに「あたし山本富士子(当時の美人女優の代表)に似てるでしょ」と強引に聞いてくる、ホームレス自称山本富士子のお婆さんが川沿いの小屋で暮らしていました。>

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《子供の頃行った床屋の隣の中華五十番》
中華五十番では何度か食べたことがある。グルメ雑誌には無理かもしれないがそこそこの味出していたかな?その五十番の隣の床屋は本当に失礼だった。われわれ兄弟が行くと「お!実験台が来たぞ!」と毎回言われた。頭刈るのが相当難しい頭だったらしく、よくシンマイの餌食に。中学生になったら流石に、行かなくなった。実験台じゃね.....

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